一口に、20年というけれど
昨日の8月12日は、日航機墜落事故から20年目の日。私は夏休みに、家でそのニュースを見てかなり衝撃を受けたことを今でも覚えている。520名の死亡という、あまりにも大きな数字に、その事故をどこか遠い外国で起きたような、何か悪い夢のように感じていた。治安のよい日本では、人が一人亡くなっても大変なニュースである。それなのに、520人もの人が一度に亡くなってしまったなんて。
一人の人が亡くなっても、その周りには家族がいて、友達がいて、たくさんの悲しむ人たちがいる。それの520倍。どれだけの人が苦しい思いをしたんだろう。 一口に20年なんていうけれど、それは私が過ごしてきた20年とは全く違うもの。20年経ったからと言って、傷が癒えるはずもなく、未だに解決しない事故原因や相次ぐ日航の不祥事で、かえって傷は深くなっているのではないか。 守るものがなかった年齢の頃は、事件や事故のニュースを見ても、それほど親身に考えることはできなかった。もちろん、怒りを覚えたり、悲しいなと思ったりすることはあったけれど、それがどれほどつらく悲しいことなのか、まったく実感としてわいてはこなかった。 自分自身の家族ができた今、ほんの少しだけ、残された人の気持ちが想像できるようになった。夫が、娘が、同じ目にあったなら。自分が代わりに死んだ方がましだったと思うだろうな。この世に残されて、なお生きていかなくてはいけないのなら。 私は、せっかく授かったこの命を勝手に断ち切ることは許されないと思っているから、どんなにつらいことがあってもそれを乗り越えて生きていかなくちゃいけないと思っている。でも、愛する人をなくして生きていくのは、どれほどつらいことなんだろうな。だって、娘が私よりも先にいなくなるなんて、考えられないもの。 考えられないからこそ、遺族の気持ち、とりわけ母親の気持ちを考えると、それだけで涙が出そうになる。たいていの親は、子供のためなら死ねると思っているはず。子供のためなら、喜んで自分の命を差し出せるはず。それなのに、子供が先にいってしまうなんて。どんなことをしても、子供の命を取り戻したい。願うことはそれだけだろうな。 どうして事故原因が未だにはっきりしないのだろう。原因がはっきりしなければ、それを取り除くことができないのに。取り除かなければ、また同じことが起きるかもしれなのに。 自分の家族が飛行機に乗るとしても、彼らは同じように真相をうやむやにしようと思うんだろうか。事故原因が取り除かれなくてもいいと思うんだろうか。 どんな仕事でも、どんな立場でも、自分の大事な人が関わることと思えば、もう少し心を込めて対処できるんじゃないのかな。 大事な人が食べるもの、大事な人が身につけるもの、大事な人が乗るもの、大事な人が使うもの。すべて「大事な人」のために何かをするつもりでいたら、世の中の悲しい出来事はもっと減る。
by kahohime
| 2005-08-13 14:49
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